Living Computer Museumには1日に3回、学芸員による無料ガイドツアーがあります。集合場所は、PDP-7の前。初期のUNIXはこれで開発されました。
PDP-7 |
TSSの実用化などを目指した巨大OS「Multics」のプロジェクトから脱退したベル研究所(当時のベル電話研究所)のケン・トンプソンは、よりシンプルな形で再構成しようと思い、研究室で誰も使っていないPDP-7にOSの実装を開始しました。このOSは、Multicsに対して「1つのことしか実行できないUnics」と名付けられ、後の「UNIX」になりました。
PDP-7自体は18ビットワードマシンで、それほど大きな成功は収めなかったようです。大抵の人は「UNIXが生まれたマシン」という認識しかないと思います。私もそうです。
なお、1970年頃までCPUのワードサイズは6の整数倍が一般的で、8ビット単位の処理が普及するのはIBM System/360などが登場する頃からです。
PDPシリーズを製造していたDEC (Digital Equipment Corporation) は、創業時に投資家から「コンピューター事業を全面に出すな」というアドバイスを受けていました。コンピューターはリスクが大きく、投資家が敬遠したためです。
そのため、DECの創業製品はデジタル回路モジュールでした。コンピューターの主要部品としても使えるのですが、コンピューターそのものではありません。
これも展示してありました。見るのは初めてです。
デジタル回路モジュール |
デジタル回路モジュールのビジネスが成功し、DECは念願のコンピューター事業に乗り出します。これがPDP(Programed Data Processor)シリーズです(それでも「Computer」とは表記していません)。
当時、コンピュータの互換性はあまり問題とはされていなかったため、シリーズ間の互換性は高くありませんでしたが、「似た系列」や「同じハードウェアインターフェース」の製品はありました。
PDP-10は、初期のインターネットの研究に使われた他、コマンドの補完機能(Ciscoのネットワーク機器やPowerShellでもおなじみの機能)もこの時に登場しました(当初の実装はDECではなかったようです)。
DEC System 10 (PDP-10) |
36ビットワードのPDP-10は後にSystem 10と名前を変え、メインフレームとして扱われるようになります。
後継機種のSystem 20はSystem 10との基本的な互換性を持った36ビットワードマシンです(PDP-20と呼ぶ人もいますが正式名ではありません)。こちらは人工知能研究に広く使われました。日本の産学協同プロジェクト「新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)」の主力開発機としても採用されています。日本国政府が関わりながら、海外のコンピューターを導入するというのは大英断だったそうです。
DEC System 20 |
なお、これらのマシンの多くは、実際にはエミュレーターで動作してました。
エミュレーターボード |
PDP-8は、PDP-10よりも前に登場したコンピューターです。こちらは12ビットワードマシンで、安価な構成が可能でした。PDP-8は後にワンチップ化され、機器組み込みCPUとしても使われました。ワープロ専用機やパーソナルコンピュータ的な製品もあったはずで、結構売れたようです。
PDP-8 |
PDP-12は、PDP-8と似た12ビットワードマシンです。こちらはそれほど売れていないはずです。
PDP-12 |
学芸員の話では、世界で数台のPDP-12ということでした。
PDP開発チームがスピンオフしてできた会社Data Generalが、PDP-8対抗機として売り出したのがNovaです。一説には、8ビット1バイトのバイトマシンを採用するかどうかでチームがもめたためだそうです。
PDP-8のチーフエンジニアだったエドソン・デ・カストロ氏はDECを退職しData Generalを設立、8ビット1バイトを処理単位とする16ビットワードマシンNovaを発表し、市場に受け入れられます。
Data General Nova |
また、既にIBM System/360などでもバイト単位処理が採用されていたため、DECもバイト処理が可能な16ビットワードマシンPDP-11を投入します。
ちなみに、PDP-7で開発されていたUNIXは、かなり初期の段階でPDP-11に置き換わりました。
Data GeneralはPDP-11対抗機としてEclipseを発表します。また、DECが完全32ビットコンピューターのVAX-11を発表するとData GeneralはEclipse MV/8000で対抗します。
VAX-11は、PDP-11との互換モードを持ちますが、Eclipse MV/8000はモード切替なしに完全な互換性を実現していました。しかし、何もしなくても古いプログラムが動くということで、新しいアプリケーションがなかなか出なかったようです。
一方、VAX-11のエミュレーションは必ずしも高速でないため、顧客は新システムに移行せざるを得なかったという話も聞きます。
世の中、なかなかうまくいかないものです。
このあたりの経緯は『超マシン誕生』といいうノンフィクションで詳しく紹介されています(【読書日記】超マシン誕生』)。
PDP-11 & VAX-11 |
PDP-11からVAX-11の世代交代は比較的スムーズだったと聞いています。ちなみにVAXはVirtual Address Extension(仮想アドレス拡張)の略、11はPDP-11の略だそうです。
VAXシリーズは途中からVAX8500のように11が消えます。PDP-11エミュレーション機能を廃止したからだそうです。
ちなみに、VAXのオペレーティングシステムVAX/VMSの開発リーダーが、マイクロソフトでWindows NTプロジェクトのリーダーとなったデビット・カトラーです。
Windows NTの最初のバージョンは3.1で、これはWindows 3.1との互換性を意味します。数字で互換性を示すのはVAXのやり方でした。
VAX-11/780 |
VAX-11シリーズ最初の機種がVAX-11/780です。1977年発表で「1978年に向けて」という意味だそうです。
ポール・アレンとビル・ゲイツが。、Altair BASICを開発したのもPDP-10だったせいか、Living Computer Museumでは、DEC製品が特に充実していたように思います。
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