古い友人である及川卓也さんの著書「挑まなければ、得られない」は、ブログ「Nothing ventured, nothing gained」を書籍化したものです。
ブログには、Creative Commonsの「CC BY 3.0」、つまり著作者のクレジットを表記すれば自由に利用できる旨が宣言されています。書籍は、利害関係者が多く、著者が関与しているのは全体の10%程度なので、こちらはCreative Commonsではありません。
Creative Commonsというのは、ある作品を土台に、さらに高いレベルの作品を生み出すための宣言です。だから、及川さんのブログをもとに、さらに深く考えることが期待されているのだと考えていいはずです。
そこで、「挑まなければ、得られない」で取り上げられた「Nothing ventured, nothing gained」の記事をを読んで思ったことを時々書いていきたいと思います。
まあ、この前置きが一番立派で、内容は大したことないと思います。以下の記事を書いてからそう思いました。せっかく書いたので公開しますが、自分が思ったことを書いただけです。
「デジタル社会に生きるということ」(Nothing ventured, nothing gained) この記事に、「デジタルは文化を再生産する」というフレーズがあった。デジタル化された時点で、劣化なしに複製ができる上、加工も用意である。フィルム撮影された写真に傷があった場合、昔は職人さんが筆で消していた。これを「レタッチ」と呼ぶ。レタッチ(retouch)は、「タッチし直す」という手作業を意味していたが、現在は画像編集ソフトで簡単にできるし、失敗してもすぐやり直しができる。
私が大学生の頃にCD(オーディオ)が発売された。当時はデータ保存用にCDを使うことは想定されていなかったし、CDを丸ごとコピーできる記憶媒体も存在しなかった。ハードディスクの容量が200MB程度の頃だったと思う。
それでも、デジタル化されることで劣化のないコピーが低コストでできることは理解できた。当時、CDを高級オーディオと思っている人も多かったが、44.1KHzでサンプリングした音楽が「高級」とは言えないことは明らかだった。
オーディオには特別な思い入れがなかったので、比較的早い時期(1985年)にCDプレーヤーを購入した。日本マランツの製品で、今調べたらたぶんCD-34という型番だと思う。
当時は、アナログレコード(LP)とCDが当時発売されるケースが多かったのだが、CDの方が若干高価で、しかも特典はLPのみ、というケースが多々あった。
たとえば、斉藤由貴のCDなんかも、LPだけにポスターが付いていたと記憶している。これはかなり魅力的だったのだが、結局CDだけを買った。
斉藤由貴のCDは今でも問題なく再生できる。そのちょっと前に買ったLPには反ってしまって再生できないものもあるので、たいいへんありがたい。しかも、今のうちにCDの内容をコピーすれば、CDそのものが劣化しても内容を保存できる(これは面倒でやってないけど)。
アナログ記録を行なっていたレーザーディスクは完全に消えた。ディスクサイズが大きかったのが問題ではないと思う。アナログ故に、量産しても低価格化が難しかったのではないかと想像する。
その点、DVDは今後の利用も期待ができる。DVDプレーヤはCDを再生できるし、Blu RayプレーヤーもDVDを再生できる。喜ばしいことである。
ひとつだけ気になるのはコピー保護機能だ。このおかげで、コンテンツの寿命が媒体の寿命で制限される。DVDのコピー保護はほぼ完全に破られているが、現行の日本の法律では保護されたDVDの内容をハードディスクにコピーするだけで違法になる。著作権法的には何ら問題ない行為だが、別の法律で制限されている。Blu Rayに至っては、コピー保護機能をあとから強化する機能を最初から備えているため、コピーそのものが非常に難しい。困ったことである。