Living Computer Museum外観
あんまり治安のいいところではないそうです
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Safeco Field改めT-Mobile Park(ネーミングライツ切れのため)
Living Computer Museumから徒歩圏内でした
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歴史的なOSを利用できる(要事前申請) |
その直後にオンライン申請したところ、別の係員が来てくれましたが、係員用のアカウントが分からずログオンできませんでした(笑)。奥さんが日本人だそうで、日本語の会話もで来ました。SSHを使ってリモートログオンもできるということですが、いまだにアカウントが送られてきません。私の申請はどうなったたのでしょう。
図書コーナーには算盤がありました(五の玉が2つあるタイプ)
デジタルこのピューターの元祖
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算盤はデジタルコンピューターの元祖みたいなものですね。
書棚には、Living Computer Museum設立者のポール・アレン氏の著書の日本語版もありました。
巨大計算尺(アナログコンピューターの元祖)
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アナログコンピューターは、広利得のアンプ(オペアンプ)を使って、対数変換器と精密ボリュームで計算する機械です。電気信号の速度で計算できるので高速ですが、式が変わるたびに再配線が必要です。
自動運転シミュレーター(軽く酔いました)
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Museum Storeで売っていたLife Game |
Museum Store |
その他、Raspberry PIを使ったキットがいろいろありました。
Tシャツなんかもあったのですが、あまり凝ったデザインはなかったので今回は購入せず。その代わり、Crayのペーパーモデルを買いました。
ビル・ゲイツとポール・アレンが最初に作った製品 |
ビル・ゲイツとポール・アレンが最初に作った会社「TRAF-O-DATA」の製品。交通集計システムと聞いています。
ホビイストへの公開状 |
マイクロソフト創業直後に出した有名な「ホビイストへの公開状」。ソフトウェアは誰かの労働の産物であり、無断でコピーして配布するのは窃盗と同じだと主張しました。今では当たり前の考え方ですが、当時、ソフトウェアには著作権が認められていなかった上、ホビイストたちは「人の作ったものは勝手に使って良い」という考え方が根強く、ビル・ゲイツのこの手紙は非難の的となりました。
ビル・ゲイツの考え方はソフトウェア産業を興しました。一方、ホビイストたちの考え方は紆余曲折を経て、オープンソース運動を含むシェアエコノミーに発展しました。
ビル・ゲイツとのポール・アレンのレジュメ |
ビル・ゲイツとポール・アレンのレジュメ。履歴書に身長体重や結婚の有無が書いてあるのに驚きます。そして、「unmarried(未婚)」が「single(独身)」に訂正されているのが面白いですね。また、現在の給与1500が1250に下方修正、希望給与がopen(希望なし)から1500に修正されているのも面白いですね。これ、当然ドルだと思うので月給でしょうか。1974年は1ドル300円くらいだったので、1500ドルだと45万円です。20代の若者に対する給与としては結構いい金額です。
だいぶ縮小したので、ブログの写真では読めないと思いますが。
Microsoft PIXELSENSE |
Microsoft PIXELSENSE、旧称Surface。テーブル型のPCで、マルチタッチ対応、センサー付きのトークンを使うことでさまざまな応用が考えられたのですが、商業的には成功しませんでした。
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