Computer Worldのブログに「ドリルの正しい使い方」という記事を書きました。
マーケティング分野の名台詞「ドリルを買いに来た人は(ドリルではなく)穴が欲しい」について、クラウドコンピューティングと絡めて説明しました。
「ドリルを買いに来た人は(ドリルではなく)穴が欲しい」、最初に聞いたときは感心しましたし、今でもいい言葉だと思います。でも、ここで納得しては駄目なんです。「なぜ穴が欲しいのか」まで突っ込まないといけません。もしかしたら、そこまで考えられるかどうかを試す、ある種のテストなのかもしれません。
「なぜ~したいのか」で思い出すのが、米国初代大統領ワシントンの幼少時代のエピソード「ワシントンと桜の木」です。
ワシントンが、庭の桜の木を切り倒したが、正直に親に告白したら罰を与えられなかった、という話です。
高校時代の英語の先生(米国人)によると、米国の子供たちは必ずこの話を聞くそうです。日本人でもたいてい知ってるくらいですから、米国ではもっとポピュラーでしょう。
そして、その後、多くの子供たちはいたずらを正直に告白して親に叱られてしまい、人生の理不尽さを学ぶそうです。
「許してもらおうとして告白する動機がよくない」ということでしょうか。
ところで、ワシントンは、そもそもなぜ桜の木を切ったのでしょうね。何がしたかったのでしょう。
このエピソードは作り話なので考えても仕方ないという意見もあるででしょうが、やっぱり不自然ですよね。
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